ボランピオ

2015年1月発行

【ボランティア体験記】僕が、被災地支援でみつけたもの。

2015年01月07日 09:14 by youi_center
2015年01月07日 09:14 by youi_center

・はじめに

 私は大学4年間の間に東日本大震災に対する震災支援を中心として、また震災支援に限らず大学や地域の中にある様々なボランティアに関わらせていただきました。高校生の頃の自分には全く想像できなかった程のかけがえのない、数多くの経験をいろんな環境や人々からいただきました。 

これらの私の経験談がどれほど役に立つかは分かりませんが、私と同じように最初の一歩を踏み出すのに戸惑っている人や、ボランティアに取り組む方のちょっとした後押しになればと思います。私の話を読んでみて、自分もボランティアをしてみよう!という人がいたりして、さらにその人が新たな経験を次の人につなげていく。そんな素敵な輪っかの一部分を担えたら嬉しいです。

 

 

①私が震災支援を始めたキッカケ~始める理由は、何だっていい!~

 大学生となった今でこそアクティブに動き回っているのですが、高校生の頃の私は超インドア派でした。休みの日は家から出ないし、特に自分から予定を立てて外出することもなく、人一倍内向きなタイプでした。

 そんななか大学受験に失敗し浪人することになり、この1年間の中では高校生までの自分を何度も振り返る時間になりました。

この時間を通じて1つの想いに辿り着きました。それが「今の自分を変えたい」です。

目の前にあることだけを淡々とこなし、自分からチャレンジすることもなく、それとなく無気力な毎日を過ごしているままの人生っておもしろいの?という疑問を強く持ちました。このことから、とにかく少しでも気になったことにはまずチャレンジしてみるというポリシーが生まれ、大学で震災支援に取り組むことにもつながりました。

 ボランティアを始める理由は何だっていい、と僕は思います。誰かを笑顔にしたい!でも、社会の役に立ちたい!でも、地域のコミュニティに飛び込みたい!でも。まずは始めて見ないと何も分からないし、一歩目でくよくよしていてもその立ち位置で分かることは何もありません。ひとまず踏み出してみたら、良い意味でどんどん自分の気持ちも環境も変化していくと思います。そうする内に、きっとアクションを起こすためのハードルがどんどん自分の中で下がっていきます。そうなれば新たなアクションを起こすことがより簡単になっていきます。何かに迷っていることがあれば、ほんの少しの勇気で一歩だけ踏み出してみてください。きっと今までとは違う生活のサイクルに飛び込めると思います!


②<感情の共有>が<共感>を呼び、共感が<支援の輪>を広げる!

 私は大学1年生から岡山大学の学生、教職員が中心となる被災地支援団体「おかやまバトン」で震災支援に取り組んでいます。当団体では福島と宮城の子供たちを夏と冬に分けて岡山に招待するプロジェクトを中心に行っています。この団体やプロジェクトがあったからこそ、私自身は震災支援やボランティアにより一生懸命になれたと思っています。そして数々の経験の中で強く印象に残っている1つが、「感情の共有⇒共感⇒支援の輪の広がり」というものです。

 福島で日本舞踊に取り組む子供たち、宮城で野球に取り組む子供たち。それぞれに抱える課題を一緒に解決していく中で、私はそれまでに体験したことがない様々な感情に触れました。

放射能の問題で外で遊ぶことも、海で泳ぐこともままならない子供たちが岡山の地で弾けさせてくれた喜び。1年目の冬に負けてしまった中学校野球部との2年目のリベンジマッチで、遂に試合に打ち勝った時の笑顔。

避難などで仲のいい友達と離れ離れになり、人を亡くしてしまうという想像できない程の悲しみ。舞踊が思うように踊れず、師範の先生に何度も叱られながら練習した泣き顔。

 「震災が起きてからずっと、子供たちのこんなに輝いている笑顔は見られなかった。」と、それまでの辛さと嬉しさが混じった、忘れられない先生の表情。

 震災支援という責任の伴う活動に対する認識の甘さから、外部の方に迷惑をかけてしまい強くお叱りを受けた時に感じた自分自身への悔しさ。

まだまだ書ききれない多くの感情があります。こういった人と人の気持ちがぶつかり合う経験の中で、私自身の心も大きく揺り動かされました。そしていろんな人達との様々な感情の共有体験が、「相手の立場に立って考えること」に強くつながりました。

 相手の立場で物事を考えろ、とよく言われますがこれは容易なことではないですし、完全に相手になりきることは当然できません。それでも、相手が本当に求めている支援を見出すためには必要な視点になります。

相手が胸の中に抱いている感情やこだわりや想いを知って、それを共有することこそが、相手がどんなことに何を感じて、何を欲しているのかという「相手の立場で考える=共に感じる」ことにつながると私は学びました。

 そして、被災された方とのつながりや経験を岡山の方々に自分の言葉で伝えることで、岡山にいる人にも震災のことや子供達のことを共に感じてもらう。つまり共感してもらうことでこそ、震災のことを当事者のように自分のこととして考えてもらうことができ、支援企画への協力に至ったと私は感じています。

被災された方々の様々な感情や想いを共に感じてもらう。これを継続することが結果的に多くの共感につながり、そうして支援の輪が少しずつ広がってく。私自身が震災支援に強くやりがいを感じる場面には、このようなつながりが必ずあったように思います。

 

 

③継続するために<楽しさ>は必要。ただそれを一括りにせず、人がそれぞれに持つ楽しさを大切に。

 ボランティアや支援企画を行っていく上で、継続するということはどの団体にとっても非常に重要であり、時には悩ましい問題だと思います。私自身もこれまでにいろいろと試行錯誤しながら取り組んできた課題でもあります。団体そのものや、団体の活動、そして人のつながりを継続させるために必要なことは数多くあります。お金のかかる活動ならば予算が必要だし、形のある物を提供するなら物品なども必要です。なにより、人自身がいなければ団体自体が成り立ちません。

 そういった様々な要素の中でも「楽しさ」が必要だとよく言われると思います。私自身もこの楽しさという要素が活動の継続に深く関わっていると感じています。

 そして私がこれまでに考え学んできたことは、楽しさと一言に言っても人がそれぞれに感じる楽しさは全く異なる、ということでした。加えて、そういったそれぞれに異なる楽しさをしっかりと見つめた上で、それらを感じることができる環境を創り上げていくことが継続には必要だということです。

 子供達と一緒に日本舞踊や野球に取り組むことで同じ時間と体験を共有できる。子供達やその保護者に笑顔になってもらえる。学生メンバー同士で一生懸命に企画に取り組むことで大きな達成感を感じられる。社会の役に立つことができているというやりがいがある。綿密な企画書やプレゼンなどでチームの支えになれる。

 挙げればキリが無いですが、その団体にいる人の数だけいろいろな楽しさがあると思います。楽しさを大切にすることは必要ですが、さらに踏み込んでそれぞれの人がどんな時に、どんなことに楽しさを感じるのか。こういった視点を意識するだけでも、より1人ひとりに合った環境を創り出せるのではないでしょうか。

全ての楽しさを把握するのは難しいけれど、そういった視点を持ち続けることが息の長い支援につながると思います。

 

④普段から<当たり前>だと思えることも、自分が当事者になった瞬間に当たり前ではなくなる。

「相手のニーズに合わせて支援を行う」

この考え方はおそらく誰が聞いても、それは当然だろうと思うでしょうし、私自身も本で読んだりニュースで聞いたりしたら「そんなの当たり前!」と感じると思います。しかし、そんな当たり前の視点が気付かない内に抜けてしまうという落とし穴もあります。

 私は2012年8月に南三陸町現地にて、学生達で支援に取り組むという企画を実施しました。それに当たり学生メンバーで何度もミーティングを行い、現地の住民の方々に対して実施する支援企画を一生懸命に作り上げました。その企画書を持って5月頃に下見に行った際、訪問する予定の自治会の方から「こんな支援をしてもらうぐらいなら、8月は来てくれなくていい」という想定外の言葉をかけられました。私自身もそうですし、同行していたメンバーも当初は全く意味が分かりませんでした。

 岡山に帰った後、いろんな方に相談する中で見えてきたその原因は、私達が考えていた支援内容は「自分達がしたいこと」であって、「現地の方が求めていること」ではないということでした。

 このプロジェクトが始まる前までは、綿密な下調べから分かるニーズに合わせて支援を行う、ということは私にとって当たり前の考えでした。しかし、実際に私自身が支援を実施する当事者となり、様々な人や団体との関係の中にどんどん入り慌ただしくなるにつれて、持つべき視点や考え方がないがしろになってしまっていました。慣れないことだらけで大変だったと言えばただの言い訳ですが。自身が当事者になることは、想像以上に自分本位に立ち回ってしまう可能性が生まれるのだと反省しました。

 自分が当事者として支援を行う以上、ある程度は自分本位になってしまいます。しかし、支援を行う上で何よりも大切にすべきことは「自己満足な支援」にしないことだと思います。そのためにも自分が当事者となった時こそ、相手のことを1番に考えるという意識を持たなければならないと学ばせてもらいました。

⑤大学生としての4年間の被災地支援、そしてこれから。

 大学1年生の時から被災地支援に取り組み始め、4年目に入りました。そして、2015年の春からは社会人になり仕事が始まります。

ここまでの4年間を通じて振り返ってみると、1年生の頃に自分の中にあったガムシャラに「何とかしたい!何かをしたい!」という気持ちが少しずつ落ち着いてきたように感じます。絶対に自分では認めたくないのですが(笑)、もしかすると震災支援ということに対するモチベーションが下がってきたのかもしれないし、あるいは様々な支援に取り組むことでそういった気持ちが満たされてきたのかもしれません。

 ただ、今のこの状態を自分なりに前向きに捉えるとすると、「自分のモチベーションや気持ちの方向性が徐々に変わってきた」のだと思います。

 私は岡山を出て、他の場所で行政の仕事に就くことになります。この行政の仕事を数ある職業の中から選択するに至った1番の理由は、まさにこの4年間で取り組んできた震災支援にありました。

 私自身の震災支援の経験を通じて、社会的に思うように動くことができない、生活ができない方々を支えたいという想いを持つようになりました。その1つのキッカケが岡山への移住者の方々との出会いです。岡山には放射能問題の影響で東日本から移住されている方が多くいます。その方々と様々な場面で交流する中で、本当はもっと活躍したり、元気に生活できたりするはずなのに、社会的な制約のせいでそれが実現できないという状況を見てきました。そういった「本来ならできるはずなのに、思うようにできない」という現状を、行政の立場から様々な仕組みを活かしたり、協働を生み出したりすることで解決したい。学生としてできることから、行政という仕事を通じてできることへ。こういった方向へ私の震災支援に対する気持ちが変わってきているのだと思います。

 震災支援に限らずボランティアなどに取り組む中で、自分の中の心境や想いは必ず変化してくると思います。そんな時には、「やる、やらない」とか「やりたい、やりたくない」のように0か100で考える必要はないと思います。自分の気持ちがどこに向かっていこうとしているのか。自分と相談しつつ、それをゆっくりと見つめながら、自分の活動の方向を定めていってほしいなと思います。

 

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