ボランピオ

vol.23(2019年2月号)

ライターのつぶやき① 「遠いふるさと」~1ヶ月以上かかった江田島への帰省

2019年03月06日 14:44 by youi_center
2019年03月06日 14:44 by youi_center

 平成30年7月6日の早朝、広島に住む私の祖母は急死した。
 前日から降り続く激しい雨の影響で、総社市には大雨警報が発令されていた。子どもたちが通う幼稚園が休園となり、娘たちと一緒にのんびりテレビを見ていた。ふと携帯を見ると、滅多にかかって来ない祖母から電話がかかってきていた。雨が激しいから心配でかけてきたのかな?と大して気にも留めず、そのままテレビを見ていた。
 1時間後、祖母宅からまた電話がかかってきていた。留守電が入っている・・・。高齢の祖母がメッセージを入れるとは思えない。急いで再生した留守電は従姉からのものだった。
「今朝早く、おばあちゃんが亡くなったんよ。また連絡するね」
一瞬頭の中が真っ白になった。心臓の持病はあったものの、元気に家で過ごしていた祖母がなぜ。母に連絡を取り、祖母が急性心不全で早朝に亡くなったことを知った。激しく降り続く雨が気になりながらも、「なるべく早く広島に帰る」と伝え電話を切った。

 仕事に出ていた夫に連絡を取り、帰省の準備を始めた。「早く祖母の元へ帰りたい」と焦りは募るものの、涙があふれてきて、何度も同じことを繰り返していた。昼過ぎに仕事を切り上げて帰って来た夫が言った。
「広島方面の山陽道が通行止めになってる。明日もだめかもしれない。下道で急いで帰ろう」
娘たちを連れて、総社の家を出たのは午後4時過ぎだった。
 祖母は広島でも江田島という、呉市から橋を渡った島に住んでいた。今日中に辿りつけるか保証はなかった。総社大橋を通り、真備へ向かう。ゴウゴウと聞こえてきそうなほど、激しく濁流をなしている高梁川にギョッとした。
「かなり水位が上がってるけど大丈夫かな?」隣で運転する夫に声をかける。
「あんな大きな川なんじゃけん、大丈夫だろう」夫は大して気にも留めてないようだった。

 真備から福山までは比較的スムーズに進んだ。不安と悲しみの中、いつもと違う夜のお出かけにはしゃいでいる娘たちの姿が救いだった。道路はところどころ冠水しており、水の中をかき分けて進む車の姿が異様だった。20時過ぎに竹原に着いた頃には、雨はさらに激しさを増しており、フロントガラスの先が見えないほどだった。木がなぎ倒され、片側通行の箇所も増えていた。
「とりあえず、行けるところまで行こう。」真っ暗な中、先も見えない道路を1時間走り続けた。

< 止まない雨への恐怖 >

「ごめん、これ以上は恐くて行けない」夫のSOSで車が止まった。とりあえず体を休めて、明日また向かおうと話し、近くにあった旅館に電話をかけ、泊めてもらった。
「雨の中、大変だったでしょう」突然の来客にも関わらず、旅館の方はとても親切で、張りつめていた心が少し和らいだ。

 部屋でくつろいでいると、LINEのメッセージが次から次へと入ってきた。総社のママ友からだった。
「真備がすごいことになってる」「親戚が助けてくれって言ってる」メッセージに添えられていた写真を見て言葉を失った。
さっき通ったはずの真備の町が水に覆われていた。床上や床下レベルではない。建物が水に飲み込まれ、屋根だけがかろうじて見えていた。信じられなかった。
「高梁川が決壊するかもしれない」「避難した方が良い」次々入ってくるメッセージに不安は増すばかりだった。

 それから数十分後、総社のアルミ工場が爆発した。雷が落ちたのかと思うほどの轟音。原因が分からない不気味さに、高梁川が決壊した音かもしれない、と更に情報が飛び交った。緊急避難情報のアラーム、LINEの通知音、鳴りやまない携帯にその夜は一睡も出来なかった。

< 目を背けたくなる現実 >

翌朝、ニュースで真備と総社の現状を知った。それは、今まで見たことも無いような光景で、のんびりお風呂に入っていた自分が申し訳なくなるほど辛いものだった。通行止めの情報も次々入ってきた。一般道もこのままではだめかもしれない。複雑な思いを抱えながら、旅館を出発した。
「土砂崩れが何箇所も起きてます。本当に気を付けて」旅館の人の言葉に、自分達の命の危機もあることを思い知った。

 道路には大小の岩がゴロゴロ転がり、ところどころ道を塞いていた。崩落や陥没の箇所が多すぎて、手が回らないのだろう。木々や岩で塞がれた道を避けながら車を進めた。片側通行だった箇所が次々と通行止めになっていく。ナビで脇道を調べながら少しずつ進んで行くが、抜け道を探して進む車の列でたちまち渋滞が出来ていた。
結局2日間かけて呉市の安芸川尻までなんとか辿り着いたが、その先に進むことは出来なかった。
「道路が半分、海に落ちている。この先にはどうやっても進めんよ」何としても帰りたいと思っていた気持ちが、警備員のこの言葉で折れた。
幸い高速道路が福山から復興してくれた為、かなり時間はかかったが、最終的に総社まで帰ることが出来た。帰り道で印象的だったのは、断水のため、どこのトイレも使用中止になっていたこと。そして猛暑にも関わらず、水を求めて給水車に長蛇の列が出来ていたことだった。
 帰って来た総社はいつもと変わらなかった。食糧や水が手に入り、断水の影響もなかった。橋を渡ればすぐ向こうは真備。こんな近くに住んでいるのに、どうしてこんなにも違うのだろう・・・。泥水を被った車をスーパーやコインランドリーで見かける度、胸が痛んだ。

 それから、私が江田島に帰れたのは道路が復興して1ヶ月以上経ってからだった。水が無いと困っていた母達はお土産のミネラルウォーターをすごく喜んでくれた。裏の山が少し崩れていたものの、浸水被害もなく、実家は無事だった。

< あなたにできることは? >

 岡山で多くの死者や被害が出た西日本豪雨だが、広島でも土砂崩れにより、家を失い、家族を失った方が大勢いた。私は今回、二つのふるさとが被災したため、二つの痛みを知る事が出来た。
まだ娘たちが幼いため、ボランティアには参加出来なかったが、「被災地の痛みを知った」ことで被災者に寄り添えたことがあったかもしれない。岡山の人にも広島の被害のことを知って欲しい、という思いで今回この記事を書いた。
私がしている支援は、買い物に真備のお店を利用していること、広島に住む被災した友人や知人に連絡を取っていることだ。どちらもささやかなことだが、一歩一歩踏み出している「岡山」と「広島」へ寄り添いたいと思って続けている。
 出来ることは人それぞれ違う。これからも自分のできる形での応援を続けていきたい。

奥田裕子

土砂災害にみまわれた広島県江田島市

関連記事

【ゆうあいC 入居団体インタビュー⑦】 『言の葉舎』

vol.44(2024年3月号)

【寄稿】ソーシャルワーカーとして子どもの居場所づくりを考える ~子どもソーシャルワークセンターつばさのインタビューを通して~

vol.43(2024年1月号)

【寄稿】子供たちの自立を支えるNPO法人すたんど

vol.28(2020年03月号)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)