2018年7月17日。被災後の真備町に向かう。
倉敷市ボランティアセンターは玉島の中国職業能力大学校に開設されていた。渋滞を防ぐため、そこで受付を済ませ約7キロ先の被災地へシャトルバスで移動する。国道54号線を北上し、のどかな田園風景を眺めていたが、あの数カ所氾濫した小田川に差し掛かろうとする時、街の景色は一変した。
泥と埃にまみれたアスファルト。圧し潰されて地面に貼り付いた屋根。倒壊を免れた家々も全戸窓ごと外された空き家と化している。田んぼにはひっくり返ったままそこかしこに放置されている車。そして道の両側には延々と続く瓦礫の山。沢山の人の営みがあった街が、生活感を消されて泥色に覆われていた。
量販店の駐車場でシャトルバスを降り、そこからサテライトに徒歩で移動する。灼熱の土埃が舞い、し尿処理場の様な匂いが鼻を突いた。
<現状を目の当たりにし、被災者と接することで引き締まる気持ち>
ボランティアセンターで決められた5人組で必要な道具を手に取り、サテライトで指定された被災者宅へ向かう。我々を迎え入れたのは70代から80代と思しき夫婦だった。付近は同じような世帯が多く被災されていると聞く。土砂が流れ込んだ上に土壁が水を含んで床に落ち、家の中は滅茶苦茶だ。老夫婦じゃなくても途方に暮れるだろう。お見舞いの言葉もそこそこに要望を聴きすぐに作業に入った。
水をたっぷり含んだ泥をかき、壁の土を落とし、土嚢に詰めて運び出す。思っていた以上に重労働だった。すぐに着衣は汗でびしょびしょになり、顎からも汗が滴るが、黙々と作業を進める。
休憩時に、あの7月6日から7日にかけての緊迫を夫妻から聞く。
「こねーなるとは思わんけー避難せんかったんじゃ。夜じゃったしな。水が来て2階に上がったけど下から何かが柱にぶつかって、その音が響いて一睡もできんかったんよ。冷蔵庫が浮いとったんじゃぁな。夜が明けて周りを見たら一面海のようになってビックリじゃ。この辺りは1階だけじゃからええけど、屋根まで浸かっとるところもある。そうなっとったら生きとらんかった。」
その話に区切りをつかたかのように、ボランティアチームは作業を再開した。
<継続したボランティア活動が必要だ!>
シャトルバスがボランティアセンターへ戻る時間が迫り、約束の4時間は過ぎた。
飲み物などをご馳走になり、大きく手を振って見送る老夫婦が「有難うございました」と深く頭を下げる姿。わずかばかりの作業量に後ろ髪をひかれる思い。しかし明日、別のボランティアがバトンを引き継ぐ。そして自分もまたここに戻ってくることを心に誓う。1日に進む作業量は僅かである。要望が無くなるまで活動が継続される事を願うばかりだ。
この後、時間を見つけては10日に1回位のペースで活動に参加したが、私事が多忙になり最近ご無沙汰してしまっている。まだまだ復興には時間がかかり、ボランティア募集も行っているので時間を見つけて参加したい。
<ボランティア活動で得るものとは?>
災害ボランティアに限らずボランティア活動は確かに何かを得ることができる。それは経験によって感じるしかない。行動した者のみに与えられるご褒美だ。被災地のニュース映像は現実離れした映画の様に感じる事もある。ボランティア活動を通じて現地に赴き被災者と接することで、それが現実として強く認識される。どうにかしたいという思いが増幅するのだ。「自分にも何か出来るのかも知れない」という思いは、行動する事で「出来るのだ」という自信に変わる。ボランティアは自分という小さな存在でも「何か出来るのだ!」という自信を与えてくれる活動なのだと思う。
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